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2015年07月06日

探究・・・1

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2015年 5月
<相原 真>

私は菜緒子と会えない毎日に少し苛立っていた。
もう、2年は会っていない。・・・・・・・・・・・・
非日常を楽しめなくなったからか?
それとも、事件がないからか?
毎週の様に、サイトでの出会いを試みている。
“菜緒子”に会うために・・・・・・

殺人=出会い(再会) 
この法則を確かめるため、私は楽しもうとしている。
最近では、週一のデート、いや週末の殺人が実に心地よい。
ある日ふと思った。
私の脳裏に潜む“菜緒子”は、わたしだけのものなのか?
あの“にやり”がすべて菜緒子の仕業なら、“菜緒子”はいっぱい居るのではないか?
菜緒子に会えれば・・・・・、会って確かめなければ・・・・・
菜緒子の目的は何なのか?
  


Posted by タンクん at 07:12Comments(0)

2015年07月06日

探究・・・2

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殺人が非日常を経験する唯一の手段とは考えていなかったが、究極の方法ではある。
本来の欲望 (普通の人間が普通になにげなく体験したがっていること) を叶えさせることで、
殺人者になる思考の解明ができると考えた。
どの様な思考で殺人に至るのか?

ある種の伝染病と言えるのではないか?

“相原 真”への侵入は、その事を証明する実験だった。

“相原 真”を殺人に誘導するつもりはなかった。

彼にとって非日常を体感する究極の行為が殺人であったと言うことだろう。
ただ、動機は解らない。非日常を感じたいだけで殺人をし続けるものなのだろうか?

たとえどの様な感情が高まったとしても、殺人を繰り返す動機ほどの持続性があるはずがない。
  


Posted by タンクん at 19:07Comments(0)